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2024.04.30

【連載㉓】「小澤征爾音楽塾のオペラができるまで」:取材を終えて

2024年3月「コジ・ファン・トゥッテ」舞台裏の模様をレポートしてきたWEB連載「小澤征爾音楽塾のオペラができるまで」もついに最終回。昨年の小澤征爾音楽塾オーケストラのオーディションから取材してきた音楽ライターの宮本明さんが、改めて「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」を振り返ります。


宮本 明(音楽ライター)

2月下旬から約1ヶ月間にわたって小澤征爾音楽塾の《コジ・ファン・トゥッテ》のリハーサルを取材した。直前の塾長・小澤征爾の訃報は、そのライフワークだった音楽塾の現場を多くの人に伝えなければ、という使命感を強くすることとなった。

 取材にあたって、自分なりのテーマが2つあった。
 ひとつは小澤征爾音楽塾オーケストラの実力がどんなものかを伝えること。これは主催者からの命題でもあった。若い音楽家たちによる特別編成のオーケストラが、「しょせん寄せ集めの学生オーケストラではないか」というバイアスをかけて見られがちで、それゆえに公演自体を敬遠する(=チケットを買ってくれない)懸念があるというのだ。
 しかし、そんなある種の偏見があるとしても、実際に音を聴けば、それはすぐに解消されるはずだ。高倍率の厳しいオーディションで選抜された高いポテンシャルの奏者たちを、レジェンド級の世界的な奏者たちがじっくりと指導するのだから、日を追うごとに演奏は研ぎ澄まされていく。取材の中で副塾長の原田禎夫も、指揮者ディエゴ・マテウスとの合意として、ヨーロッパの中堅歌劇場のオーケストラにひけを取らないとお墨付きを与えていた。私ごときが持ち上げる必要などまったくなく、一定以上の実力を持ったオーケストラなのだ。
 ただし、「しょせん寄せ集め」というのはひどい言い方だとしても、テンポラリーなオーケストラであることは確かで、最初から何もかもうまくいくということではなかった。最初は一人ひとりがいろんな方向を向いていた集団が、コーチたちの粘り強い指導のもと、互いにコミュニケーションを築き、共通の音楽言語を見つけながらオーケストラとして成長していく様子は実に頼もしい。実際、こんなに丁寧に演奏する《コジ・ファン・トゥッテ》は、そんなにどこでも聴けるものではないと思う。じっくり時間をかけて作り上げた彼らの表現はとてもクリアで濃厚。公演後、市販されている《コジ》の映像や録音を見聞きしても、多くの演奏がぬるく感じられたほどだ。もし、「しょせん」という理由でパスしている人がいるとしたらもったいない。

 もうひとつのテーマは、小澤が繰り返し掲げてきた「オペラとシンフォニーはクルマの両輪」という視点だ。ずっと、その真意を今ひとつすっきりとは理解できずにいた。もちろん、なんとなくはわかる。でも、具体的にはどういうことなのか。
 小澤は最初それをカラヤンに教わったと言っていた。カラヤンが若い日本人指揮者にそう言ったのはわかる気がする。ヨーロッパで指揮者としてやっていくためにはオペラは欠かせない。というより、どちらかといえばオペラがメインの領域とさえ言える。オペラの伝統の乏しい日本で育った指揮者にとって、オペラ経験の欠如はディスアドバンテージだ。シンフォニー同様にオペラの経験を積みなさいというアドバイスだったのだろう。
 ではそれが、若い器楽奏者たちにはどんな意味を持つ視点なのか。それを知りたかった。なぜオペラなのか。アンサンブルという意味では、歌に合わせるのも器楽同志で合わせるのも同じだと、ディエゴ・マテウスも言っている。
 自分が誤解していた部分もあったことには、取材を始めてすぐに気がついた。私はどちらかというと、自在に伸縮するオペラ歌手の自由な歌に合わせるという、ピットのオーケストラの職人的なアンサンブルを習得させるのが第一義なのかと思っていたのだ。それは違うようだった。どうやら、ただ単に合わせるのが目的ではなく、声ならではの呼吸、言葉があることによる色彩や抑揚を、楽器に落とし込んで表現させるのが主眼らしい。なるほど、それはとても理解できる。人間の声で歌う歌は音楽のベースだ。もちろん、それを学ぶことで、器楽ならではの「歌」の表現にも理解が深まるはず。
 そして、音楽塾の《コジ・ファン・トゥッテ》ができあがっていく過程に寄り添っているうちに気がついたのは、結局、そんな「歌の表現」を自分のものにするためには、「合わせる」しかないのではないかということ。最初は単にタイミングを合わせることにしかならないかもしれないけれど、それはだんだん、歌の息づかいに耳を澄ませ、歌うのと同じ生理で楽器を奏でることにつながっていく。つまり、一周して、結局は歌に合わせるのが大事ということ。
 ただ、そうだとして、ではなぜオペラなのだろう。オラトリオやカンタータでも、オーケストラ付き歌曲でもいいのではないか。なぜオペラ、しかも演奏会形式でなく、演出付きの舞台上演なのだろう(もちろん、興行としてはそのほうが断然面白いが……)。オーケストラ・ピットで弾く奏者たちからは背後の演出は見えないわけだし、声の音楽を学ぶという意味に特化して考えた場合、演出は必要なのだろうか。そのあたりは、いずれ機会があれば、演出家デイヴィッド・ニースにも質問してみたいところだ。

 ひとつ、「なぜオペラ?」の答えのヒントがあるかもしれないと思ったのは、京都でバックステージ・ツアーで、小澤の長女・征良さんが観客たちに説明するのを聞いた時だった。
「コジ・ファン・トゥッテは1969年に父が始めてザルツブルク音楽祭で振ったオペラでした。父は自分がそれでオペラに夢中になったので、その面白さを若い人たちにも知ってほしくて始めたのがこの小澤征爾音楽塾……」
 もとを正せば、小澤自身が夢中になるほど好きだったから、オペラをやる。と言い切ってしまうとやや短絡的すぎる気もするけれど、そんな少年っぽい、純粋に前のめりな姿勢を忘れないのも、小澤征爾という音楽家の魅力の一面だったと思う。
 仮にあえて「オペラ」というキーワードを外しても、25年間にわたって培ってきた小澤征爾音楽塾の実験と実践は、すでに確かな成果を残している。現在日本のオーケストラの若い奏者の多くが小澤征爾音楽塾の出身者だと聞いて、驚き、納得した。ディエゴ・マテウスという俊英を首席指揮者に得て、昨年の《ラ・ボエーム》や来年の《椿姫》など、新たなレパートリーも広がっていくのだろう。小澤征爾の精神をエネルギッシュに伝える場であるこのプロジェクトにずっと注目し続けたい。

写真は、2024年3月 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXX モーツァルト:歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」最終リハーサル終了後、ロームシアター京都にて


【連載】「小澤征爾音楽塾のオペラができるまで」
イントロダクション
#1
#2 オーディションに挑む若き音楽家たち─音楽塾の“主役”、塾生オーケストラ
#3 小澤征爾音楽塾展2024
#4 歌手リハーサル開始!
#5 塾オケリハーサル初日
#6 塾オケリハーサル 2日目─楽器ごとの分奏
#7 小澤征爾音楽塾合唱団─根本卓也さん(合唱指揮)インタビュー
#8 塾オケリハーサル 3日目─弦楽パートのリハーサル
#9 塾オケリハーサル 5日目─カヴァー・キャストとの初合わせ
#10 小澤征爾音楽塾展2024─小澤征爾塾長のスコア
#11 京都リハーサル初日
#12 バックステージツアー
#13 原田禎夫副塾長のスピーチ
#14「子どものためのオペラ」とメインキャストのリハーサル
#15「子どものためのオペラ」楽器紹介編
#16 ゲネプロ
#17 元塾生・大宮臨太郎さん(NHK交響楽団 第2ヴァイオリン首席奏者/サイトウ・キネン・オーケストラ ヴァイオリン奏者)インタビュー
#18 原田禎夫副塾長インタビュー
#19 カヴァー・キャスト 中川郁文さん(ソプラノ)と井出壮志朗さん(バリトン)インタビュー
#20 本番
#21 首席指揮者 ディエゴ・マテウス インタビュー
#22 番外編
#23 取材を終えて

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