鷹栖さんは現在、東京都交響楽団で首席オーボエ奏者としてご活躍されています。音楽塾に参加して学んだことが生かされているな、と感じる部分はありますか?
音楽塾では基礎の基礎と言いますか、本当に大事なことを学ばせていただきました。私が塾に参加したのは大学4年生の時でした。『こうもり』が演目だったのですが、手も足も出ないような状態でしたねぇ…(苦笑)。そんな私ですが、いま思い返してみると大きく学んだことが二つあったと思っています。一つは、小澤先生が常におっしゃっていた「よく聴いて」ということ。オーボエの宮本文昭先生からも「聴いて!聴いて!聴いて!いま聴いてた?!」って、本当に何回も言われました。「歌、いまどうなってた?聴いてたの?!」って(笑)。それがものすごく怖かったですね。オケで演奏する中では、聴いたり観たりすることがものすごく大事というのを文字通り身に染みるまで叩き込まれましたが、今ではそれが本当に良かったと思っています。よく聴いて、観て、その曲の中でいま自分はメロディーなのか、伴奏なのか、どういうことをやっているのか、自分の役割をちゃんと理解しないといけないんだ、ということですね。これができていないと話にならないと言いますか。音楽家としての芯を勉強させていただきました。この教えは、いまも忘れないようにしています。
もう一つは、サイトウ・キネン・フェスティバル松本での「子どものための音楽会」で、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を演奏した時のことです。公演が複数回あり何度も演奏したのですが、時にはだらけてしまうこともありました。その時、「君たち、本気でやってた?本気でやらないとだめだよ!」って、小澤先生が喝を入れてくださったんです。「そういうのは子どもにだって伝わるんだ。子どもたちにとっては難しい「運命」でも、大人が本気でやってたら子どもであっても、聴いてる方も違うんだよ」っておっしゃって。次の公演で演奏がガラッと変わったら、子どもたちの目も全然違いました。いつも本気でやらなきゃいけないんだというのを実感した経験でしたね。都響は子ども向けの音楽教室も多くやっているので、「本気でできたかなあ」といつも思っています。“どんな本番でも本気でやりなさい”という言葉は、私の中では深く残っていますね。音楽家として大事にしようと思っています。
音楽塾で特に鍛えられたことは何でしょう?
表現については、宮本先生が本当に細かく教えてくださいました。まずは真似から始めました。「この2拍目の裏でちょっと抜いて」とか、完全にコピーしながら型を学びました。当たり前のことなんですが、オーケストラの全部を聴いて、全体のバランスを考えて吹かないといけないんだ、ということを全部教えていただきました。
楽譜のもっと先を見ること、というのも教えていただきました。宮本先生はイメージを映像のように伝えてくださる方で、「このディミヌエンドは、昼と夜の移り変わりのマジックアワーのようなイメージを僕は持ってる」とか。「自分が、音が、会場を自由に飛んでいるイメージでやってほしい」と言われたことも覚えています。常に意思をもって、「こういう風に吹きたい!」というのをいつも考えてやりなさい、というご指導だったので、適当に吹くとすごく怒られました。
オーボエは発音のタイミングが難しい楽器なのですが、それを恐れて安全策で進むのではなく、ギリギリの、スレスレのところに挑戦していくという姿勢を学びました。音が途切れちゃうんじゃないかとか、発音を失敗したらどうしようとか、そういうことを恐れるが故に、「じゃあもうちょっと大きく吹こう」とか、そういう甘えたやり方には絶対にいかないで欲しい、という教えでした。「君はそれで音楽家として良いのか?」って。
この考え方や音楽に対する姿勢は、今もとても生かされています。自分の信念として植え付けられた感じですね。宮本先生も小澤先生も、ギリギリのところでやりなさいと教えてくださいました。例えば、pp(ピアニッシモ)で音が消えるときも、ひゅ~っと音を絞りすぎると早く途切れちゃうのではないかと心配になりますが、大きく吹こうということではなく、限界、ギリギリを探っていました。
オーボエはいろいろ表現しようと思うとどうしてもリスクを伴う楽器です。もちろんどの楽器もその側面はあると思いますが、オーボエはミスをするとそれが特に目立ちます。例えば「運命」だと、カデンツァでディミヌエンドしていくところ。音を伸ばしていって、たとえブチっと切れてもミスではありませんが、先生たちが求めているのは空気に溶け込むようなディミヌエンドだったりします。それを出そうとすると途中でブツッと切れちゃう可能性もありますが、そうなることを恐れないで表現しよう、と学びました。
前の小澤さんの言葉を借りると、そういうことを恐れないでやるというのが、お客さんにも伝わるということですか?
そうだと思います。そこについては、宮本先生も小澤先生も同じ考えだったと思います。命を懸けてやりなさい、と。
2008年 初めて音楽塾に参加された年の鷹栖さん(中央)。右側は塾創設の2000年から毎年講師を務めて下さっている宮本文昭先生。
2005年から音楽塾は中国・韓国・台湾といったアジアの若手音楽家たちにも門戸を開きました。中国では複数回にわたって公演も行いましたが、アジアの方々と一緒に学んでみていかがでしたか?
アジアの方々は弦パートでの参加だったので直接的な関わりは少なかったのですが、「表現したい!」という意志の強さは日本人より強かったように見えました。自分がどうしたいのかというのが、後ろから見ていても感じるんです。
2009年にはオーケストラ・プロジェクトIで中国の北京、上海、天津でも演奏しました。すごく盛り上がりましたね。自分としてはあんまりうまくいかなかった悔しい公演なのですが(苦笑)、後々考えると、あの辛くて情けない経験がとても役に立っています。日本以外の文化を知ることができたという意味でも貴重な経験をさせていただきました。
音楽塾は、世界の舞台で活躍する一流のオペラ歌手を迎えて長期間のリハーサルを行うことも特徴の一つです。トップクラスの歌手の表現方法を間近で見た経験は、ご自身の音楽創りや音楽性に影響していますか?
初めて歌手の方の歌を聴いたとき、「こんな人がいるのか!」と、とにかく驚いたのを覚えています。最初の塾は『こうもり』で、次は『ヘンゼルとグレーテル』を演奏しました。『こうもり』の時は、歌手の皆さんがとにかく楽しそうで「本番が怖くないのかな?」と不思議に思いましたが、“楽しくやる”というのは、お客さんにも伝わることなんだなと学びました。いまは楽しむということも大切にしようと思っています。私はどちらかというと「不安だ!」というループに入っちゃうタイプなのですが、音楽に集中して自分とうまく付き合うという技術も、すごく必要なんですよね。
一番覚えているのは、『こうもり』にご出演されたバリトンのボー・スコウフスさんです。もはや、その役(アイゼンシュタイン役)にしか見えなかったと言いますか…。「人間ってこんなに声が出るんだ!体全部が響いている!」って本当に衝撃的で、すごく感動したのを強烈に覚えています。いまでも不安やミスを恐れる気持ちが大きくなって音楽に入り切れていないと感じるときは、不安なんてまったく感じていないように歌われていたボーさんのことを思い出したりしています。
音楽に入り込んで表現して楽しむというのを、海外でのオペラ歌手から教えてもらったということですね。たしかにそれは、一流の人からでないと学べないことですね。
「そういう風に考えるとうまくいくのか」というのは、ここ最近やっとわかってきたことです。「なんでこんなに本番が怖いと感じちゃうんだろうなぁ」とか、逆にうまくいったときは「なんでうまくいったのかなあ」というのを、ずっと自問自答していました。ある時、ふと塾で見た歌手の方の姿や、塾で一緒に演奏したアレクサンドラ・スムちゃん(ヴァイオリン/2008年に音楽塾に参加。現在はパリを拠点にしており、各国で公演、マスタークラスなどを行う傍ら、2012年には友人と非営利団体“Esperanz Arts”を設立し、学校やホームレス宿泊施設、刑務所や病院などに出向き演奏活動も行っている)のキラキラした感じとかを思い出したんです。私にとって音楽塾は、自分が悩んだときに立ち戻る場所なんだと思います。
いまになってやっとわかってきたこともあります。演奏についてではありませんが、例えば小澤さんの人間性。世界一流の方なのに、塾生のみんなにも「おう!」って気さくに声をかけていらっしゃった。当時は「え?!」って感じだったんですけど、いま考えてみると、学生だからといって偉ぶらず、同じ態度で接してくださっている小澤さんは、そのことで私たちに「いつも応援しているからね、仲間だからね」という気持ちをぶつけてくださっていたんじゃないかな、と思うんです。それができるって、真の一流の方ですよね。そのすごさを、色んなことを見てきてやっと気づきました。プロとして10年近くやらせていただいて、だんだんわかってきたことが多いです。
たまに音楽塾のリハーサルを覗かせていただく機会があるのですが、先生方が指導されていることを聞くと、「あぁそうだったなあ~」と思います。あの時ああいう経験ができたことは、この先ずっと私の拠り所になると思うんです。いつになっても「こんな気持ちだったかなあ」と、戻って考える場所と言いますか。塾に参加していた時や、終わってすぐはそんな風には思っていませんでしたが、ここ最近は強く感じます。どれほど大事なことを、先生方は私たちに一生懸命に教えてくださっていたのか。これからオケに入りやっていくには何を身につけたらいいのかをものすごく考えて、ひとつひとつ丁寧に、あきらめずに教えてくださいました。私も学生だし、若かったし、何もわかっていなくて失礼なこともたくさんしたと思うんです。言われたことも満足にできなかったり。でも、無駄なことは一つもありませんでした。かつては奥志賀高原で合宿もしていましたが、時々先生が「もう練習疲れたから温泉に行こう!」って言っていましたが、そういうのも必要なことだったんだなと感じていますね。
「こうもり」リハーサル中の一枚。鷹栖さんは写真左側 チェロの後ろ。コンマスには前出のアレクサンドラ・スムさんがいる。
今はどんな音楽家を目指されていますか?
常に成長していきたいと思っています。単純に言うと、オケでもっといい演奏がしたいです。もっとアンテナを張って、もっと聴けるようになって、「このオーボエがいれば安心だ!」って、オケのみんなが安心できるような存在になりたいです。お客さんが一生忘れられないような演奏ができたらいいなといつも思っていますが、道のりは果てしないですね。でもそこにちょっとでも近づいていけるようにしたいです。小澤先生の教えに通じるかもしれませんが、自分に喝を入れて、先生のように常に情熱をもって、本気で、誠実に音楽に向き合っていけるような演奏家になりたいですね。
特別公演への抱負を聞かせてください。
塾には育てていただいたという気持ちがとても強いので、演奏でお返しできるように、とにかく一生懸命自分のパートを演奏したいです。聴いてくださる人の心に残るような演奏をしたいですね。宮本先生もいらっしゃいますし、塾で学んでから10年ぐらい経ちましたが、その間に色んなものを吸収して経験したので、先生方に「いい音楽家になってきたな」って思ってもらえたら本望です(笑)。感謝の気持ちで吹かせていただきたいです。
2009年 オーケストラ・プロジェクト リハーサル中の一枚。ズラリと並ぶ先生方を前に管楽器パートでの合同練習。前列中央が鷹栖さん。奥には小澤塾長の姿も見える。
上2枚:2009年 『ヘンゼルとグレーテル』リハーサル中のショット。
聞き手:須賀綾子(共同通信)
※上記インタビューは、共同通信の取材を基に書き起こしたものです。
編集:小澤征爾音楽塾 広報
2021年1月収録