山本先生は、2000年の小澤征爾音楽塾創設からほぼ欠かさずクラリネットの講師として音楽塾に関わっていらっしゃいます。小澤征爾塾長とはどのように出会ったのですか?
ドイツから日本に帰ってきたタイミングで、新日本フィルハーモニー交響楽団で首席クラリネットを務められていた鈴木良昭さんから「新日フィルを手伝ってくれないか」とお声がけいただいたんです。その時僕は東京藝術大学で教えていましたが、オーケストラには入っていませんでした。ちょうどオケをやりたかったので客演首席として参加させていただき、指揮をされていた小澤さんとのご縁が出来た、という感じです。2007年まで17~18年間ほど新日フィルにはお世話になりました。鈴木さんのことを小澤さんがとても気に入っていらっしゃり、その関係で僕も呼んでいただいていた、という感じだったと思います。
指揮者としての小澤塾長のすごさとは?
小澤さんはものすごく勉強なさる方です。僕がドイツにいた時、ヨーヨー・マと小澤さんが対談をするテレビ番組を観ました。記憶が間違ってなければ、「アジア人に西洋音楽であるクラシック音楽はできるのか?」というテーマでお話されていたんですが、このお話をされるということはつまり、小澤さんはこの疑問をずっと考えていらっしゃって、勉強されているからだと思うんです。
もう一つすごいと思うのは、知ったかぶりをされないこと。新日フィルでベートーヴェンの交響曲第7番を演奏した時、リズムについて「ウィーン・フィルではこうだから」とおっしゃったんです。基準がご自分じゃないんですよ。それはすごいなと思います。
小澤さんは交響曲でもオペラでも暗譜されるんですよね。そして全部合図してくれる。褒めてばかりになってしまいますが、例えばオペラを練習していると、リハーサルの翌日に自分の譜面を見ると「この場所もうちょっと大きく」とか書かれた紙が入っているんです。各パートにですよ。ご自身で勉強をされて、指示を入れているということなんですよね。あれはすごいです。
小澤さんの指揮で吹けるのは、すごく幸せな経験です。一緒に演奏していると、小澤さんの身体からエネルギーが感じられるんです。昔、小澤さんが日本フィルハーモニー交響楽団でマーラーの交響曲第2番を演奏した公演を聴きに行ったことがあるんですが、小澤さんの後ろ姿からも、音楽のエネルギーが見えました。もちろん指揮のテクニックもすごいと思うんですが、そのエネルギーに引き込まれるんです。そのエネルギーがオケの音に結びつき、お客さんに伝わるんだと思うんですよね。
2012年『蝶々夫人』リハーサル中の一枚。
先生ご自身が、小澤塾長の言葉や会話で印象深く覚えていることはありますか?
クラリネットのソロで始まる楽曲を演奏していた時、オケに向かって小澤さんが「こいつ(山本さん)勝手に吹くから、みんなが合わせてくれ」っておっしゃったんです。一生懸命やってるから他の人が聴いて合わせてやってくれ、ということで、認めてくださっているのかな、と思った瞬間でしたね。
小澤さんは「聴いて!聴いて!」とよくおっしゃいますよね。音楽塾でも「聴け、聴け!」とおっしゃいます。それは非常に大事なことだと思います。小澤さんはご自身の音楽を持っていらっしゃいますが、すごい奏者たちがいたら、彼らの音楽も認めて、彼らの音楽に合わせてあげられるんです。
山本先生はドイツのデュッセルドルフ交響楽団(ラインドイツオペラ)で長く演奏され、その後、音楽塾で指導をされています。音楽塾は当初から、オペラに力を注いできましたね。
オペラの教育を継続するというのはすごいことです。僕は、文化というのは3つの要素で成り立っていると思います。音楽と、文学と、美術。これが文化と呼ばれるものだと思います。この3つが一緒なのがオペラなんですよね。確実に文化の全部が集まってる。ただし日本だとそれを経験することは難しい。ドイツだといろんな街にオペラ劇場があって、指揮者も演奏家も学生もオペラを観て育ってきている。僕はデトモルトという街で勉強したのですが、人口4万人くらいの都市でも小さいオペラ劇場があるんです。そしてみんながそれを普通に聴いている。楽器の技術的な部分は1対1で教えられるけど、オペラは全体がないと教えられないですよね。それを小澤さんも体験して、「若い人にもっとオペラをやってもらいたい」と思われたと思うんです。音楽塾は超一流の歌手を呼び、舞台装置も世界レベル。そういったものが生み出す迫力というのは、みんな感じると思います。個人的には、日本の音楽教育で大きく欠けているのは“すごい舞台が無い”というところかなと思っています。もちろんオペラに取り組んでいる学校はありますが、音楽塾ほどの規模と予算をかけてはできません。超一流の歌手の声を聴くと、学生たちはびっくりするんです。そういう経験をもっと積んでもらいたいです。
交響曲とオペラの教育の違いはありますか?
明確な違いはないと思います。オペラには歌がついてますが、もともと全部の音楽は歌からきてるんですよ。楽器のソロ曲であっても、その旋律はその国の歌です。その国の言葉に音が連動してるんですよね。
例えば童謡の「か~ら~す~なぜなくの~」という曲。日本語を知らない外国の方にも、この曲のテンポは教えられます。音楽家とか関係なく、誰でも教えられますよね。ただし言葉を知らないと、例えば「速く」と指示されたら、いくらでも速くなってしまいます。でも言葉を知ってると、限界がありますよね。言葉として「それは速い」とわかる。それはモーツァルトのコンチェルトを演奏するときも同じです。音の処理もその国の言葉で違ってきます。それは言葉と音の連動があるからです。
音が言葉に合っているオペラだと、それがもろに出るんです。昔は日本でオペラを上演する際に歌詞を日本語に訳して歌うところもありましたが、最近は訳さないですよね。日本語でやると音と合わないんですよ。日本語のオペラを会場で聴いても、言葉の抑揚がバラバラになってしまっているので、何を言っているかわからない。その国の言葉と旋律というのは関係していて、それはコンチェルトにしても同じです。その言葉を知らない日本の学生が学ぶのはなおさら難しいことです。
2013年 小澤征爾音楽塾オーケストラ・プロジェクトI リハーサル中の一枚。塾生の中に混ざって指導。
音楽塾の指導の特色は何ですか?
各楽器に先生がついて、生徒も少ない。贅沢ですよねえ(笑)。僕は木管をメインに指導しますが、同じチームにはオーボエの宮本文昭さん、フルートのジャック・ズーンさん、ファゴットの吉田將さんらもいらっしゃいます。楽器には良い個性もあるけど悪い個性もあり、楽器に慣れてしまうと悪い個性にも慣れてしまうかもしれません。学生だと尚更ね。そんな時に他の楽器の先生方から指導を受けると良い勉強になるんです。
管楽器としては、弦楽器と一緒に練習できて、彼らに対する指示やアドバイスが聞けるのも良いポイントです。学校を卒業して演奏家としてやっていきたい場合、様々な楽器の性格を知らないと演奏できないんですよ。管楽器はもともとソロ楽器ではないので、オーケストラを知らないとダメ。そういったことを、宮本くんやジャックから言われたら「なるほど」と思うはずです。とても贅沢で、日本だとあまりない環境ですね。色んな先生方が何度もああだこうだ言ってるのを見られる経験は新鮮で、学生オケではできないことです。
また、ローム ミュージック ファンデーションさんのご支援をいただいているので、塾に参加するための費用(合宿費用や移動費など)はかかりません。ありがたいことです。オーディションを受ける学生さんたちは多いですよ。
それぞれの公演に思い出がありますが、例えば『こうもり』。J.シュトラウスII世の作品なので、音楽も含め向こう(オーストリア)の文化の上に成り立っている作品です。『こうもり』は塾で何度かとりあげましたが、ワルツは本場の方に教わるのが一番だということで、ヴァイオリンにはウィーン・フィルのアルフォンス・エッガーさんが講師として来てくださいました。見本として弾いてくださるとカッコいいんです、雰囲気が全然違うんですよね。学生たちもオーディションで選ばれている感覚の良い子たちなので、それを聴くとちゃんと吸収していく。最初はみんなバラバラだけど、小澤さんが「聴いて」と言い続けていくと、本番では良くなっているんですよ。
この試みは、本物を聴いてほしいという願いが小澤さんにあるからこそだと思うんです。特にオペラに関しては。個人的には、『カルメン』のサンドラ・ピクス・エディさん(ソプラノ)もすごかったなぁ。そういう“本物”を持ってる人を若い人に聴かせるというのは、小澤さんがずっと対峙している「アジア人にヨーロッパのクラシックができるのか」という問いに戻ってくると思うんです。
塾を経験し、ソリストやプロオケで活躍している人がたくさんいます。もともと才能があったからかもしれませんが、音楽塾が何かの足しにはなってると思いますし、小澤さんの考えは正しかったんだと思っています。
2009年『ヘンゼルとグレーテル』奥志賀高原での合宿中。中央で立っている山本先生に加え、吉田將先生、宮本文昭先生も見える。
塾には日本だけではなく、アジアの各国からも塾生が集まってきますね。
すごく良いことですよね。小澤さんは自分も“アジア人”という認識があって、アジアの人にしっかりと音楽を経験してほしいと思っていらっしゃると思うんです。
塾生間での交流もありますしね。中国の方のほうが日本人より英語を話している印象です。とにかく色んな人と演奏するときには、言葉の壁があっても意思の疎通というか、言葉だけでなくても“伝える”という手段は持っていないといけません。サイトウ・キネン・オーケストラだって色んな国の人がいらっしゃいますが、やっぱりそういう“伝える”術を持っている人が集まっています。もちろん、吹けば「ここはこうだな」と伝えられる部分はあります。だから音楽は他の分野に比べて言葉が無くてもレッスンができます。とはいえ、通じたほうがもちろん良い。英語は使わないと忘れてしまうので、若い人たちにはどんどん使っていってもらいたいです。
この20年の間で、若者のレベルの変化は感じますか?
弦楽器もそうですが、管楽器は全体的にレベルがかなり上がっていると思います。ただし、音楽の部分となると、ひょっとするとそんなに変わってないかもしれないですね。技術は上げられるけど、音楽というのは経験が生きてくるところがあります。昔に比べてインターネットで色々なものがすぐに観られる時代です。その代わり、本質的なところまで届いているかと言われると…。音大生でも演奏会にあまり行かなくなっているんですよ、びっくりするでしょう?CDも買わない。YouTubeで観て、それが音楽だと思っちゃう。音楽は生じゃないと。やっぱり生の音、あれって全然違うと思うんですよ。
音楽塾で教える喜びは何ですか?
塾生たちがどんどん変わっていく姿が目に見えるんです。最初の練習で「どうなるんだろう」と思っても、本番になると良くなっている。しかも何公演も行うので、本番ごとに良くなっていくんですよ。それは若い人たちのすごいところですよね。本番になるとどんどん良くなっていくのを、自分たちも感じてるんだと思います。
音楽塾の今後はどうあっていくべきだと思いますか?
音楽塾を経験した人たちがプロの世界に入って、自分たちも教え始めたら裾野は広がると思うんです。彼ら自身が、生徒たちに「オペラもあるよ」と教えられる。例えば、2000年の音楽塾(初回)にいた糸井裕美子さんは東京都交響楽団に入っていらっしゃるし、濱崎由紀さんは藝大フィルハーモニア管弦楽団で吹いていらっしゃいます。丸山久美子さんはドイツのオーケストラに所属されています。色々なところで活躍してる人がいますね。そういう人たちが塾での経験をちょっとずつ伝えていってくれるのが、大きいんじゃないかなと思います。時間はかかると思いますが。
だから音楽塾はずっと続けていただきたいです。時代は変わっても、オペラというものから学生たちが受ける刺激は変わらないと思うんです。もちろんお金もかかるし、大変な事業だと思いますが、こういう取り組みを続けていくことが何より大事だと思います。
ありがとうございました。
2014年 『フィガロの結婚』練習風景
聞き手:清岡央(読売新聞)
※上記インタビューは、読売新聞の取材を基に書き起こしたものです。
編集:小澤征爾音楽塾 広報
2021年2月収録